☆1評価をレビューする!?あの評価基準について思うこと
目次
ざっくりと事のあらまし
『本当に面白いボードゲームの世界』という雑誌のレビュー企画がありました。中でも話題作の『アルナックの失われし遺跡』に☆1点の評価がついたのはインパクトがありましたね。
他にも評価が芳しくないゲームがいくつかあったとはいえ、一番のインパクトはこの「アルナック1点事件」で間違いないかなと個人的には思っています。
今回はこの「アルナック1点事件」と『本当に面白いボードゲームの世界』の☆評価の基準について思うことがあるのでお話していこうと思います。

評価の基準は問題ない?
☆1点でも雑誌内の点数の基準としては「普通のゲーム。やってもやらなくてもどちらでもよい」とされています。なので誰も傷つかないよう配慮はされていますね。
これについては僕個人の考えは、問題大アリだと僕は考えています。問題なのは「雑誌と世間の☆評価の認識のズレ」です。
大半のレビューサイトの☆1点はほぼ酷評
☆評価を採用しているサイトはたくさんあり、一番有名なものだと「Amazon」のカスタマーレビューなんかがそうですね。「食べログ」など数えればキリがありません。
基本的にこれらのレビューサイトの☆1点というのはあまり良い評価ではないです。むしろ、酷評であることも少なくありません。
ここから導き出されるのは☆1点が持つ意味に「酷評やかなりのダメ出し」という意味合いを持っているからだと僕は推論しています。
まとめると「☆1点は多くのレビューサイトで酷評扱いのものが多く、まず第一印象として☆1点を見ると、大半の人は酷評だと受け止めるようにできている」ということです。

世間一般の☆1と雑誌内の☆1のズレ
さて問題の核心の話に移ります。僕たちはもう言葉レベルで「☆1=酷評」という認識があるという話をしました。
ここに雑誌内の独自基準の☆1を持ち込んだのですが、世間一般の☆1のニュアンスを無視して採用するということに無理があったと僕は考えます。どうしても僕らはパッと見の第一印象ではそれを酷評だと認識するようプログラムされているのです。
なので、☆評価の基準を独自のものにするという試みは失敗だったと僕は考えています。このズレが意図的なものなら、マーケティングとしては成功だと思います(笑)。
たぶん、☆1点をつけやすくしたかった
この手の複数のゲームをレビューする企画を面白くするためには、☆1~5の評価が満遍なくつくことが望ましいです。手堅く☆3~5しかつかない企画って妥当だとは思います。しかし、面白くはないでしょう。
しかも、雑誌のタイトル名が『本当に面白いボードゲームの世界』というネーミングで明らかな駄作や問題作をレビュー対象にチョイスするのは難しかったと思います。
その上で☆1点がつくようにしようと思うと、これはもうかなりの無理難題のようにすら思います。相当ムチャをしないと難しいかと思います。

なので企画をエキサイティングなものにするべく独自基準を採用したと推論します。☆評価で1を付けやすくしたかったのでしょう。ここがこの世間一般との認識のズレを生んだ原因だと僕は考えています。
「誰も不幸にせず面白い企画を生み出そうとした努力の結果なんだろうな」と最後にこの企画の擁護もしておきます。
一番は言葉のみのレビュー、しかしそれは面白くない
個人的に☆評価は書き手にも読み手にもバイアスを与え、よろしくないという話を過去にしました。
こういった点数評価の基準は採用せず、言葉のみのレビューを書くのが僕のスタンスです。そういう記事も書いています。よろしければどうぞ。
しかし、点数のないレビューとしては全く面白くありません。ノット・エキサイティングです(笑)。人はネガティブなものに強く反応します。
☆1点つけて「ああん?何で?」と思わせて、読ませて、そっか個人の価値観の違いだね!ってした記事の方がエキサイティングでPV伸びますからね。☆1評価の記事ってだけで読まずにリツイートで広がる側面もありますし。
まとめ
最後に今回の話の要点をまとめます。
- ボードゲーム界に波紋を呼んだ「アルナック☆1点事件」についてお話しました。
- 一番の問題点は「☆評価は世間一般のイメージがもう出来上がっている」。それを独自基準で覆すのは困難。
- 一般のイメージで☆1点はもうそれは酷評に近いです。☆1点をどちらでもよいレベルの基準にするべきではなかったと僕は考えます。
- 企画として面白くするには1点を付けやすくしたかったと推論。名作を中心に☆1を付けさせる試みはあまりに野心的すぎました。
- 点数評価のないレビューはエキサイティングではない。
以上です。読んで下さりありがとうございました。